2014年04月号 ラップトップタイピングの一体感
極上のキーボードを求めて
気持ちよくタイピングしたい。'88年にMacを手にして以来、常にタイピングの心地よさを追い求めてきた。
それまで英文タイプライターの重いキーをガチャガチャ打っていた私にとって、Macの軽快なキーボードは別世界。特に当時のMacに付属していた純正キーボードは造りが良かった。単体で購入すると3万円もする高級品だ。打鍵するたび快感。MacがUSBポートを採用するまで10年以上、その快適は続いたのである。
キーボードがUSB接続になると、快感を覚えるほどの製品はなかなか現れなかった。いろいろ試した後、ついに手に入れたのがPFUの「HHKB Professional(Happy Hacking Keyboard Professional)」である。現在は同シリーズの「HHKB Professional JP」を使っている。
各キーを押し込むと、たおやかな反応が心地よい。指を戻すとキーが指に吸い付いて戻ってくる。ヌメヌメと止めどなくインクが流れ出る万年筆がごとく、手との一体感を味わえる究極のキーボードだ。その気持ちよさゆえ、書くことが楽しくなり、もっと書きたいと思わせてくれる。
人馬一体ならぬ人鍵一体。手の延長、身体の一部のような感覚で扱える効用は大きい。誤打鍵が少ないのだ。脳が言語を発すると、その瞬間に文字が画面に表示されるダイレクト感。キーボードの存在が希薄なのだ。必要なのはふんわりとしたほんの少しの指の動きだけ。思い浮かべた言葉を脳に付けた電極が感知してMacに伝えたかと思うほど、無意識で、画面上の文章が進んでいく。快感なのだ。
その一体感はサイズにも由来する。キーピッチは一般的なキーボードと同じフルサイズ。なのに片手でつかめるほどコンパクトである。テンキーがなく、余分なキーもない。わしづかみにできるほど「手頃」なサイズ。親指をホームポジションに置いたままキーボードの隅々まで手が届くから、文字どおり「手中に収まる」道具感である。
その極上の打鍵感を一層安定させるため、厚さ3mmのゴム板をホームセンターで購入し、キーボードの下に敷いている。キーボードの裏に付いた足の部分には穴をあけ、ゴム板全体がキーボードにべたっと接する状態にしているのだ。剛性感が格段に上がるため、キーを打ち込んだときにきちんと受け止めてくれるようになる。指に吸い付くキーの動きにブレがなくなり、心地よさが純化されるのだ。
この上質な打鍵感には何ものにも代え難い魅力がある。いつでもこれでタイプしたい。研究室と自宅とに常備しているのはもちろんのこと、外でも使う。スタンフォード大学で客員研究員をしていた2年間、MacBookとともにいつもHHKBを持ち歩いたし、帰国後も外で長文を書くときは必ず持ち出す。研究会に参加したり講演を聴きながら机上のMacでノートを取るときも、喫茶店で原稿を書くときも、キーボードはHHKBだ。さてそのときキーボードはどこに置くのがいいだろうか。
キーボードと姿勢の密なる関係
ノートPCを業務で使う職場が多い。特に最近のMacBook Airなどはキーボードの質感も高く、メインのキーボードとして常用するにもふさわしい品質だ。下手な単体キーボードより打ち心地がいい。
そのようなノート型のMacやPCをデスクで使う場合、本体をどこに置いているだろうか。またデスクトップ型のiMacやPCの場合、キーボードの位置はどうだろう。机の手前の縁? 机の中央付近? 机の奥の方?
デスクの手前の方に置くほど打ちやすいが、資料などを同時に広げると手狭になる。キーボードの手前に物を置くと、徐々にキーボードが奥に追いやられていく。
すると、ユーザーの姿勢はどうなるか。腕が前に伸び、肩が前に出る。背中は丸くなり、前屈みになっていく。その腕の形は、幽霊か、カンガルーか、キョンシーか。タイピングしている姿勢のまま椅子以外のものを取り去った光景を想像してみれば、いかに滑稽な格好をしているかわかるだろう。
このような姿勢が身体に良いはずがない。実際、肩こり、腰痛、目の疲れなどの違和感を覚えた経験がある人も多いはずだ。不自然な体勢を続けると、さまざまなきしみを身体に生ずるのである。
そこで昔、テンキーの付いた一般的なキーボードを使っていたころ、私はそれをデスクの引き出しに入れていた。デスクの天板のすぐ下にある薄い引き出しである。
こうするとキーボードがちょうどお腹の前に来る。ケーブルは裏から引き回す。使うときは引き出しを引き、中にあるキーボードでそのままタイピング。引き出しを閉じればスムーズに椅子から立ち上がれる。キーボードの位置が少し低くなるから、肩のこわばりも緩和されて楽なのだ。社長秘書をしている友人にこの方法を勧めたところ、常に資料を広げながら複数の業務を並行してこなしつつ、コピーとか来客で立ったり座ったりを繰り返す彼女の仕事にぴったりだと気に入っていた。
一般的なキーボードを使っていた10年以上の間、自分でもこのスタイルを実践していた。いまでも一般的なキーボードにはこれがベストだと思っている。
しかし、HHKBを使い始めてから、私のタイピングスタイルは大きく進化した。キーボードをモモに置くのである。
仮にテンキーの付いた一般的なキーボードをモモに置いたとしてもバランスを取りにくい。その点、HHKBにはテンキーがない。ほぼ左右対称なデザインだ。幅も狭く、重量も軽い。だからモモに置いても安定してタイピングできるのだ。
同じことはApple Wireless Keyboardでも可能である。こちらはワイヤレスなのでケーブルの取り回しがなくスマートだ。
人間、座った状態で最も安定する手の位置はモモの上。そこにキーボードをプラスすれば「ラップトップタイピングスタイル」の完成だ。キーボードの手前側を少し高く傾け、左右から両方のモモで挟むとさらに安定し、手首も自然とまっすぐになる。
これは電車の座席でノート型のMacをモモに乗せてタイピングするのと同じ体勢だ。その場合、モモの上にあるモニターを見るために頭が下を向き続けることで首に負担がかかってしまう。一方、Macやモニターをデスクに置いてキーボードをモモに乗せれば、視線は前を向いて頭は安定し、手はモモに来て上半身もリラックスできる。
なんと楽なことか。肩も首も背中も弛緩し、腕は体側に落ち着く。お腹が圧迫されず、呼吸も楽である。身体に密着したキーボードとの一体感、ここに極まるのだ。